お手伝いや、チームのこと

昨夜はチームメンバーの蜘蛛のお手伝いに行ってきました。

ぼちぼち死んだりはしたものの基本的には全く危なげなく、(自分基準で)あっという間に倒してしまいました。肉入りパーティはすごいな。

旅芸人の方の中身が入ってて、最善の行動を素早く選択できるような状況って結構楽な気がします。バイシオン、ザオ、ハッスルダンスなどをタイミングよく使ってもらって、かつ、立ち位置を都度調整して相撲しやすくしてもらったりとかで全然戦況は変わりますね。

以下、ちょっとチラシの裏。


チームでの活動について、このところちょいちょい色々考えています。

自分含め、精神的な意味で全員がオトナなわけではないから、配慮を欠いた発言がチームのタイムラインに上がることがあります。

チャットが活発なときは、拾われない会話も出てきます。逆に活発でないとき、「誰かが拾うだろう」という雰囲気で、誰かが投げた質問が宙に浮いてしまうこともしばしば。

でもそれがひっかかるのはひょっとして僕だけかもしれず、特にチーム内に波が立つことはありません。それも逆に、それらを何気なく処理できない僕自身に問題があるのかも、とも思います。

オンラインで人とやってるから、どんな形にしろ人と関わりつつやっていくのは一番楽しむべきところで、チームに入るなんてのはその最たるものではあるのですが、ときどき、チームに居ることをストレスに感じる瞬間があります。もちろん、楽しいときも多いのですが。

でも例えば、パッシブを取ることを前提にしたプレイや、やりこみ要素の全てをやりつくさないと認められない風潮のようなものを体現した人間があからさまにそれを意識した発言をしていると、僕のような人間は途端に興をそがれてしまいます。

酒場に預けているサポを見て
「なんだよみんなパッシブ全然とってねえし」
「50近くで+なし装備してるってなんなの?」
「いくらなんでも50でMP30はないよね」
「僧侶でも最低限ゆうかんはとって/一撃で死なないようにしててほしいね」
「平田でも攻撃力低すぎて役たたねえ!」
「50にもなって力の指輪装備してんなよ」

狩場に来てる他のプレイヤーを見て
「ここは魔法使いの狩場じゃないのにな」
「ちょwマリンをタイガーで狩ってるw」

etc…

なんてことを笑いながら話してる人たちを見ると、正直ちょっと冷めてしまいます。

もちろんレベル上げの効率などを考えたとき、自分も上のような条件をある程度の判断基準にしてるのは間違いないです。でもそれをチーム会話に喋って皆で笑いあうという感覚にちょっとついていけないときがあります。

いや、もっと閉じた空間で、例えば近しい間柄で居酒屋で笑い話にするなら面白い会話なんでしょう。ああでもそれも個人の感覚の問題で、どこまでが許容範囲かってのは違ってきますよね。だから誰が悪いなんてことはきっと無くて、言うなればそれを許容できない僕が引けばいいのに引かないで不満だけこうして漏らしてるのが一番悪いのかもしれません。

人にこういうことを言うと必ず言われるのが「いろんな人がいる」って言葉です。そういう人も含めてオンラインゲームの醍醐味である、という理屈はわかってはいるのですが、それなら、僕のような人種も少なからずいるのではないかと思うし、できればそういう人たち同士でつるみたいものだとも思います。その自由もきっとあるのではないかと。

でも集団と言うのは常に色んな要素を含んでいるもので、理想の関係にたどり着くなんて、現実でもできていないのに、仮想現実で出来るはずも無い。どんな人との間でも、軋轢が生まれることは避けられないものですよね。

僕がこれまでで理想に近いと思った関係性で、普段はてんでにばらばらなことをしていて、チャットでも悪態をついたりはしているけど、実は相手のことをよく見ていて、なにか手伝いが必要だなと思ったら黙って準備を済ませて近くに居てくれたり、結果助けを求めなければそっと自分の作業に戻ったり、なんて人が居ました。

でもその人でさえ、虫の居所が悪いときは妙につっかかってきたり、発言にわざと棘を交えてきたりはして、それをきっかけに仲たがいしてしばらく会わなくなると、さすが仮想現実、霧のようにその関係性も消えてしまいました。残念なことに。

先日フレになってくださった方が、気の合うフレさんたちとなんとなくチームを結成されたらしいです。そういうの、羨ましいです。本来チームってそうあるべきものかもしれません。出来上がった人様のチームに入った人間が四の五の言うほうがそもそも見当違いな話なのかもしれませんね。


まとまりも無くて、何かたどり着きたい結論があるわけではないので支離滅裂ですが、こんなことをときどきもやもやと考えながら、今だにMMOを続けています。なにかしら楽しくはあるんだと思います。

努力しても全て報われることのほうが少ない現実に対し、努力した分がある程度の数値として保証される仮想現実は心地よいのかもしれません。それはオトナになればなるほど本来求めたい結果である気がします。同時にオトナになればなるほど、その数値が仮想であることから目を背けてはいけないものだと気づくものなのですが、僕はまだ目をそらしていたいみたいです。

なんだかんだと続けています。

せっかくなら、楽しくやっていきたいな、と思っています。

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